【草創の時代】
昭和46年夏。全日本国語教育研究協議会の会場を舞台として、全日本中学校国語教育研究会の結成大会が開催された。
そこで挨拶に立ったのは、東京都小学校国語教育研究会 会長の朝倉秀雄先生であった。
朝倉氏は、「小学校も国語組織をもちたいのだが、いろいろな事情でそれができない。全日中国研の結成が刺激となって、小学校にもその運動が起こったならば、こんな幸せはない。」と語った。
その後、全日本中国研の会報が出て間もなく、東京都指導部の瀬川榮志先生が、その会報を持って朝倉秀雄先生に面会した。その会報の中にある朝倉先生の言葉の真意を聞くためであった。
瀬川氏曰く、「もしそれが本当なら、全国組織結成の運動をさっそく始めようではないか。」と。共感・共鳴の賛同の意を表することとなった。朝倉先生は、瀬川先生のその真っすぐな思いを「東京都指導部の意を体して動いたのではなく、国語教育を専攻する個人として、その必要を痛感するところから動かれた姿」と、受けとめた。
朝倉先生ご自身は、その時ためらいがあった。多くの人手と、若干の資金が必要であったからだ。人は本当にこの運動の価値を信じ、その必要性を痛感しなければ集まるものではないと考えた。
その時、瀬川先生が「機は熟している。その人は居る。」と言い、続けて「心当たりの人はいる。自分も一兵卒となってどんな仕事でも割り当ててもらいたい。」との心情を吐露された。
この強い後押しがあって、朝倉先生は都小国研の人々の同意を集め、資金の都合もつけたのであった。その準備委員会、仕切り役として草創の事務局長を瀬川先生に託されたのであった。
昭和47年8月4日。道府県・特別都市の小学校国語研究会長との連絡・調整・準備が進む中、結成大会開催の運びとなった。当日は、九州・中国・近畿・関東から24名の会長が出席し、全小国研として発足・誕生をみたのであった。
その翌年から毎年、全国大会が開催され、今日に至る。(現在、令和5年度 第53回広島大会)
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初代会長 | 朝倉 秀雄 先生 |
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2代会長 | 佐々木 定夫 先生 |
3代会長 | 北村 季夫 先生 |
4代会長 | 小林 幸雄 先生 |
5代会長 | 木名瀬 正博 先生 |
6代会長 | 太田 三十雄 先生 |
7代会長 | 津田 成一 先生 |
8代会長 | 瀬川 榮志 先生 |
9代会長 | 川上 繁 先生 |
10代会長 | 栗岩 英雄 先生 |
11代会長 | 岩淵 健 先生 |
12代会長 | 押上 武文 先生 |
13代会長 | 新倉 宏一 先生 |
14代会長 | 能瀬 外喜雄 先生 |
15代会長 | 中澤 敬 先生 |
16代会長 | 西村 佐二 先生 |
17代会長 | 帆足 文宏 先生 |
18代会長 | 鈴木 一徳 先生 |
19代会長 | 石野日出夫 先生 |
20代会長 | 飯田 薫 先生 |
21代会長 | 大野 泰弘 先生 |
22代会長 | 川畑 庄二 先生 |
23代会長 | 小野江 隆 先生 |
24代会長 | 佐伯 孝司 先生 |
【名誉顧問】
〇 朝倉 秀雄 先生 〇 瀬川 榮志 先生 〇 榊原 良子 先生
(参考『50周年記念誌』より)
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@全国小学校国語教育研究会